9月9日 地鎮祭

このブログも早いもので「99」個目の記事を数えます。そして今回は、2017年9月9日に執り行なわれた地鎮祭の模様をレポート。ゾロ目続きで嬉しい限り!


https://youtu.be/E-HoLImnGWk


都心から中川村に移り住んで早五年。長く村営住宅を仮の住まいとして地域生活をおくりながら、理想の立地を探し続けてきました。七年に一度の御柱祭でギューっと縁が深まり、この土地に家を建てることは、まるで誘われたかの出来事。山林、道路沿い、上水あり、駅近、絶景、日当たり良し、と何拍子も揃った理想の土地です。


 今から16年も前にフィンランドで出会った光嶋裕介に設計依頼したのが1年数ヶ月前。丁寧に何回も何回も打ち合わせを繰り返し、設計と見積もりの行き来を重ね、やっとのこと地鎮祭を迎えることが出来ました。 


9/9は我々夫婦の結婚記念日であり、紫苑の花が誕生花である日で、それが故に娘の名前が「しおん」なのです。まだ工事契約前の段階ですが、この日に是非行いたいという我々のワガママで地鎮祭を執り行っていただきました。竣工希望は誕生日である4/4が希望でしたが、実施設計やり直し願いのハプニングがあったので、5/5を目指して貰います。


神官様は、上に書いた御柱祭でもその姿を拝見した中川村の松村宮司さんにお願いしました。場所のセッティングは施工業者である中島工務店の設計担当の香田さんと現場監督となる吉川さんが取り仕切ってくれました。土地の四隅に青竹を立て(うちの場合、敷地が広いので、建物の形で四隅を作って貰いました。)、縄で囲って祭場となり、土地の神様を呼んで頂きました。


参加者は中島工務店スタッフ3名、建築家光嶋裕介、地主様、根津家族4名です。
4歳の娘は何故かご機嫌ななめで、この儀式が少々怖かった様子?何かの気配を感じるのですね。
背中からたっぷりと南の陽を感じる9月の熱い日の下で、心に残る地鎮祭が終わりに近づきまさした。敷地に降り立った神様がまた空の方へ飛び立つというシーンもありました。

式を終えて、中島工務店社長様、建築家光嶋裕介さんからお話を頂き、不意打ちで最後に私の番になりました。

人前で話すというのは、大学のスキー部二年で幹部になった時に意気揚々と話していたら話しが長い!としつこく言う先輩のせいで、それ以来ゆったりと人前で話すことが出来なくなってしまいました。しかし、不思議と今回は自然と話すことが出来て驚きです。 今日のスピーチくらいは多少長くなっても誰も文句は言わないだろうと、、、。


中川村に移住して地域の仲間に入れて頂き、御柱祭りがあり、縁が繋がり、夢が実現に近ずいている事には感謝があるのみです。土地の神様を迎えたこの日、これからもその気持ちを大切に生きて行きたい。という話しをさせていただきました。


模型を持つと俄然表情が輝く光嶋裕介。
初代中島工務店やり手毒舌社長と、若手スター建築家のバランスが取れた写真。


根津の父(元商社マン:甚八の兄)も川崎から参加してくれました。


タタッタラ

家が建っていく様を綴らねばならないという使命感を基にした記録。

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