過去の建築体験
基本設計を進めて貰ってから4ヶ月程経っている頃です。A, B, C, C’, D 既に5つもの提案を見せてもらいました。全て木造住宅ですが、4つは全くと言っていいほど違う顔の家。量産型住宅メーカーにお願いする家だとしたら、カタログや展示場にある既存のスタイルを見て、予算はそれぞれこの金額からスタートとなりますので、この中から選んで下さい!という運びになるのでしょうか? うちの場合はまだまだ先が長いです。なにせ、設計に費やす時間だけでこの時点から一年弱あるのですから(・∀・)
施主にとって、家づくりにそこまで専心する事を大変だと思うのか、楽しいと思うかは人によるのでしょうね。「アンタも良くそこまでこだわるのね〜」「デザインとかが根っから好きなんですか?」と最近よく言われます(´∀`) もちろん、もう面倒だ!と思う時もありましたが、、、基本的には夢見たマイハウスの設計に関われて夢見心地です。
光嶋裕介がどこかに書いていた言葉ですが、「建築は難しいと捉われがちだけど、みんな建築の素人ではない。人それぞれ、今まで過ごしてきた家との関係が建築経験であり、皆玄人だ。」いうようなニュアンスの言葉です。(間違っていたらすみません)
私の場合はフィンランドで過ごした3年間が大きいと思います。あそこの人達はシンプルにいい物を良いとしますね。私が出会った多くの家庭は、こざっぱり片付いた綺麗な家に住んでいました。シングルガラスのアルミサッシのボロ家じゃなくて、木サッシのペアガラスが二重で空気層が数十cmあったりするのです。100均や格安のホームセンターの安かろう悪かろうのスタイルに自分の意思で首を振るような国民性に感じる。身近に名建築が沢山あり、渋滞とか混雑というストレスを受けずに、見て感じる事が出来ました。フィンランドという国で、今はスター建築家となった関本竜太さんや光嶋裕介さんの若い頃に出会えて、建築の良さや楽しさを教えて貰えました。
さらに遡ると、東京は江古田のお祖父ちゃんお祖母ちゃんの家は1960年代?に建てられた当時としては最先端のコンクリート打ちっ放しの四角い白い家でした。おばあちゃんは建物へのこだわりが強かったようで、同じ土地に3回も家を建て直したと聞いてます。最終的にその白い打ちっ放しの住宅を設計したのは戦後日本で多くの西洋建築を手掛けたアメリカ人建築家、ウォーリズの元にいた奈良信(ならしん)という早稲田出身の建築家で、国際基督教大の初期設計工事に携わった教会建築に造詣が深かった人みたいです。私が小さな頃から休みになると通っていた江古田のおばあちゃん家は、一軒家はこういうものなんだと無意識に記憶されていたのでしょう。
私の実家はずっとマンション生活でしたが、中学から高校の三年間をアメリカニュージャジー州で過ごしました。家族で最初に借りた家は91 Jefferson Ave. Maplewood NJは築200年の木造二階建て、広い裏庭で初めて芝刈りをしたのは15歳でした。その後、61 Kendal に引越して屋根裏部屋や地下室のあるボリュームたっぷり二階建ての家はセントラルヒーティングが当たり前に完備されていて冬も夏も快適に過ごした記憶があります。日本の住環境とは違ってましたね。
アメリカ生活で印象に残っている建築はNY郊外、Pawlingという地名にある森の中の家です。普段はマンハッタンに住む父の友人逸平さんの別荘。逸平さんのパートナーはインテリアデザイナーで、その家の内装デザインも施したと聞きます。私の記憶に刻まれているのはむしろロケーションの方。丘の上に建たるその家から広がる景色。丘の下から見上げた一軒の家。こういう所に住みたいな〜自ら家を建てるならこういうところが理想だな〜と15歳の頃からずっと思っていた気がします。
この景色が中川村の敷地にそっくりです。上からの見た目も、下から家を見上げる感じも。過去の記憶と結び付いてシックリときたのでしょう。こんな巡り会いが実現するとは奇跡です。
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