御柱祭がその土地へ誘うことに

土地との出会いは2016年新年を迎えてからググっと深まった気がします。この年は7年に一度の御柱祭が開かれるオリンピックイヤーの2倍ほど貴重な年。諏訪大社の御柱祭は全国的に名を馳せているが、ご近所の御射山神社(松川町上片桐)の御柱祭も諏訪信仰直系の由緒ある、伊那谷最大の御柱祭です。


個人的に田んぼを借りるのに大変お世話になっているK澤さんというおじさんがいます。その方から御柱祭の写真撮影を頼まれちゃいまして、普段ならボランティア撮影はしないのですが、なぜかなんとなく、「これはやらなきゃいけないな」って引き受けちゃったんです。


3月に大きなモミの樹を伐り倒すのですが、すでに2月から御柱祭の準備は始まっていて、梃子の衆(引かれる柱のコントロールを担う男達集団)が使うテコ棒を狩りに山に入るとこところから呼ばれ、密着で撮影が始まりました。

photo ©︎ Shuhei NEZU


そこは地元片桐地区の保安林であるヒノキ林で、農道から堆肥舎の方にちょこっと入っていく道沿い。うちの梅畑(会社で管理している)のすぐ近くなので、場所は電話で説明されただけですぐに解りました。


それは御柱の神様からの、この土地への誘いだったのです!


3/6に樹齢100年ほどのモミの樹が切り倒されました。

photo ©︎ Shuhei NEZU


平成28年度、御神木の寄進者である中塚さんは後に、土地の分筆をお願いする土地家屋調査士さんです。ご縁があったのですね。この時にお目にかかった宮司さんも後に、地鎮祭をお願いすることになった方です。御柱の縁というか、狭い村の社会が成す術というか、とにかくこの御柱祭と土地との遭遇を私は関連付けすると納得できるのです。

photo ©︎ Shuhei NEZU


3/20、普段頻繁に行き来する村内を、御神木は日常とはかけ離れた光景を残してグイグイと進みます。どこまで行くの?(最後は重機で吊られ、トラックに載せられて運ばれて行きました。)

photo ©︎ Shuhei NEZU


柱が向かう方向が中川村のシンボルであり最高峰の陣馬形山、跡を辿る方角は敷地を指すのです。御柱祭最中、他にも土地探しを急がせる知り合いの声があり、同じタイミングで敷地の地主さん、M沢さんとコンタクトするきっかけが出来ました。誰がなんといっても、これは土地の神様の声だったのです。

タタッタラ

家が建っていく様を綴らねばならないという使命感を基にした記録。

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