移住者 最初の仮住まい

2012年5月に長野県上伊那郡中川村にやってきました。学生時代の先生に誘われて、15年前の学生時代にも滞在した中川村に、神奈川県川崎市中原区から思い切って引っ越してきました。「柚子の樹に裸で登る」私の生き方はこの言葉のように無鉄砲なのです。生まれ故郷でも親戚がいる訳でもない土地にやってきた移住者、Iターンってヤツですね。私の人生は転々としていますが、その内の一つである転機です。ちなみに中川村での仕事は、認知症の老人を撮影して写真作品制作をするというプロジェクトでした。ただ写真を撮りに訪ねるのではなく、介護スタッフとしてお年寄りと関わって、関係を築きながら撮るという青写真に惹かれたのでありました。



最初に住んだのは、庭先からこんな景色が見える家でした。赤石岳が目の前に感じられる、中川村でも山奥の桑原という地区。村民でも「あれーそんな山の中に住んどるのー」と感心されるほど山の中。


一軒家の家賃は月2万。当時は都会のマンション暮らしと比べて安くて驚きでしたね。今、考えたらあんなぼろ家に年間24万は高かったな〜という村民感覚になりましたが。ゴミは放置状態、風呂お湯出ない、雨樋壊れ、私道崩れ、などなど、いわゆる居抜き状態の家。こういう状態の空家の相場でいうと安くはない。この辺りでは、貸す側が家を有料で他人に貸すという事に慣れてないのです。だから、今でも貸し空家物件は表に出てこない。人伝てにしか貸家情報は聞かないですね。その中には、しっかりメンテ、クリーニングした後に賃貸するビジネスライクの大家さんも居ます。契約書もちゃんと交わした賃貸をする。すると家賃は倍くらいが相場ですかね。


因みに、100㎡平屋の村民住宅は月5万ちょい、2LDK 61㎡マンションタイプは4万弱。そう、お金は生活と家を作りに直結しているので、出来るだけ隠さずに金額を書いていこうと思ってます。 


この最初の借り住まいは素敵な場所でした。自然の空気とエネルギーを存分に感じられ、日々BBQをしてすっかり肉食男に還りました。家は自由にリフォームさせて貰えるということでDIYを楽しんでました。


そして、子供を授かりました。


都会で別居していたかみさんが出産前に中川村に引っ越してくることになりましたが、この山奥の家では携帯電話の電波も悪く、運転も出来ないかみさんは不安で仕方ない。中川村に来て半年で引っ越し先を探す事になりました。

タタッタラ

家が建っていく様を綴らねばならないという使命感を基にした記録。

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