《祥雲荘》見学

ハッと気が付いたら、本やWEBの写真では馴染みのある光嶋建築作品を実際のスケールで見た事も触れた事もない!それなのに、私は図々しくも物言い多いクライアント役を振る舞っているのだなと気付きました。家の設計を進めて貰う為に生じたコミュニケーションがお互いをより良く知る「対話」となり、光嶋裕介の作品を実際に見たい!という気持ちが高まってきたというのが正直なモチベーションです。


2017年2月上旬、家族で東京に帰省する機会があり、裕介に「東京近郊での光嶋建築を見学させて貰えないですか?」と相談しました。直ぐに複数件に問い合わせてくれた結果、武蔵野市の《祥雲荘》を内観させていただけることになりました。


光嶋裕介の紹介によると、建主さんは、処女作である凱風館の奮闘記『みんなの家。〜建築家一年生の初仕事』を出版したアルテスパプリッシングの鈴木さんだという事。そうなんだ!YouTubeで観たことのある動画を思い出しました。数あるトークイベント動画の中、裕介を先生扱いせずに話を軽く遮ることが出来る人だということで覚えていました。お忙しい中の貴重な休日時間を割いて快く内観させていただき、感謝感激です。


《祥雲荘》は中央線の人気駅から商店街を抜けた家々がひしめきあう住宅街にありました。私はすっかり田舎暮らしが板に付いてきているので、東京を歩くと子供と共に驚きます。「家がいっぱいあるねー」都心なので当たり前の事で失礼にならないかな思いますが、いわゆる「狭小住宅」ですかね。見学に行った時で建たってから3年半ほどが経っていますが、まだまだピカピカだな!という印象の緑色のガルバリウムで全面を覆われた外壁。窓の庇が同じ緑のガルバリウムで加工されていることは、写真で見ていた以上に印象的でした。外壁のコントラストとして輝いていたのは真っ赤の玄関ドアです。この時点で鈴木さんもかなり熱い人だという事に確信を持ちました!


玄関先での挨拶では、うちのカミさんと鈴木さんの間接的な繋がりが濃すぎることが判明して見学どころではなくなる盛り上がりになりました。(ニッチの音楽レーベルAhoraコーポレーションと、カミさんの義父の著書を鈴木さんが担当していたという事実発覚!)


15坪ほどの建築面積に一階、二階、ロフトスペースが縦三層に構成されています。一階は和室寝室で綺麗に布団が上げられて見えないところに収納されていました。伝統的な日本のライフスタイルは、寝室が客間にも居間にも早変わり出来る合理的な使い方が出来ることを思い出させてくれました。


二階は半透明の壁に包まれた階段を中心に、キッチンダイニングリビングと鈴木さんの書斎が遮る建て具なしにぐるっと繋がっていました。うちの娘は直ぐに3階の子供スペースに上がらせて貰い絵本を読んでいましたが、その気配を二階から感じられる事も印象的でした。簡単に言うと、良い家でした。内部全体的な木の温もりもボリューム感も、生活感ありながら綺麗に片付けられた感じも含めて良い家でした。そうか、住む人が家を作るんだなぁと感じたのです。ということは、建築は設計・施工が終わって、住み始めてからも家づくりなのでしょうね。


光嶋裕介との繋がりや、やり取りのアドバイス?!、鈴木さんの図面への関心や土地との出会い逸話、信頼度高い中島工務店のこと、ローンのことなどなど、理想的な先輩建主さんと話すことが出来て充実した時間でした。うちの図面も見てもらい、竣工したらぜひ中川村に遊びに来てくださいねと強くお誘いをして別れました。それ以後はFBで繋がり、光嶋建築OB兄貴との関係を楽しんでいます。


帰りにフィンランド繋がりのモイカフェにも寄り、奇跡的な人間関係を生み出すカフェにご挨拶できました。


実はその前日、カミさんの仕事は渋谷のSIA青山ビルの地下にあるDDD青山クロスシアターで開催されたイベントに出演でした。私は娘と一緒に覗きに行ったところ、同じ建物に"RED BULL オフィス"って書いてある事に気づいて、あれ、これは?って良く見たら光嶋裕介のデザインした内装オフィスだったのです。不思議な縁が続きますね。


やはり建築と人は会ってみないとその正体は掴めません。




タタッタラ

家が建っていく様を綴らねばならないという使命感を基にした記録。

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